パート10

忘れがたいダイビング

 数多くあちこちの海を潜っていると、良きにつけ、悪しきにつけ、忘れ難いダイビングというものがある。

 その時々の海の様子、経験、発見など記憶に強く残る潜水は、いずれかといえばすべてが順調にいった潜水より、刺激的な内容を伴う、アンハッピーな潜水の方だ。

定置網を潜る

大宜味の漁師、幸地腹さん

 沖縄本島北部の西海岸に、大宜味という村がある。他県からの観光客で賑わうオクマビーチが、海を隔てた対岸に見え、人気の高い万座ビーチホテルと並んで、ヤングに受けているヴィラ・オクマビーチ・リゾートというホテルも大宜味村に入る。だから、大宜味の沖合というより、オクマビーチリゾートの沖合といった方が話は早い。
 そこでの潜水が、冒頭の「忘れがたいダイビング」のひとつになった。

 沖縄本島の南部に糸満という、古来漁業で知られた町がある。その町の出身で、若い時に大宜味が気にいって住みつき、以来ウミンチュウ(漁師)で身を立て、生活を支えてきた人に、幸地腹亀二郎さんという方がいる。この時の潜水は、宿泊も食事も含め幸地腹さんとその家族の方々の協力があって初めて可能だった。
 幸地腹さんは、ウミンチュウにしては品の良すぎる顔立ちをし、初対面の時その方が幸地腹さんだとは気付かなかった。立派で風格のある顔だちだ。ウミンチュウにしては、といういい方は失礼とは思うが、少くとも私が沖縄赴任以来、出会ったウミンチュウの顔ではない。知性と教養を感じさせる面立ちなのである。
 言葉には強いなまりがあって、当初、意思の疎通にまごついたが、幸地腹さんの誠意と歓迎心が伝わってくるにつれ、仰言る内容も何とか解るようになった。

期待と不安を胸に

 その日は、那覇からドライブして、午後2時に大宜味に到着し、幸地腹さん宅で着替えや装備の点検をして、3時過ぎに幸地腹さんの操る船で海上に出た。
 モトブ半島が大きく南に張り出し、その先端に対置して、伊江島が塔頭を空に突きだすように浮いている。誰かが「メキシカン・ハットのようだ」と評したが、いい得て妙だ。
 真正面に当る西方海上に、イヘヤ、イゼナの島々が展開し、北には本島の北端に位置する辺土岬が険しく立ちあがって、頗る眺めが良い。「定置網はどこにあるんですか」私はエンジン音でうるさい船の上で大声を出した。「オクマ寄りの、リーフの内側です」との答え。

 那覇を出る時には思ってもみなかった定置網でのダイビングである。幸地腹さんが定置網を所有しているという話に到着と同時に「是非潜らしてください」とお願いし快諾を得ていた。滅多にできないダイビングに挑めることの期待と不安を胸に、エンジン音の激しい船上で、いささか興奮ぎみだった。

網の長さは数百メートル

 定置網というのは、文字通り、物を人為的に一定のエリアに固定させて作った、大がかりなトラップ、つまり罠で、これも漁法のひとつ。幸地腹さんの話では、若い頃に糸満の先輩ウミンチュウから設置方法を学んだもので、誰にでも簡単に作れるものではないとのことだ。
 目指す定置網は、砂地の海底に設けられ全体の網の長さは数百メートルに達し、定置網としての規模は中位のサイズという。「ここ数日、海がおとなしいから、入っているかどうか分らんなあ」と、幸地腹さんは心配気だった。
 海は多少荒れ気味の方が、魚が網に入るそうで、昨日の海もベタナギだったし、この日も穏やかで、ダイビングには絶好のコンディションだが、定置網漁には必らずしも好条件の海ではなかった。
 ブイの脇に、カメラをかかえて勇躍飛びこんだのだが、この後、恐怖と疲労との闘いが待っていようとは......。

定置網は水族館ではない

 リーフの内側という状況もあり、透明度はおよそ6メートル、視界は濁りが強くて私の潜水歴では最悪の状態だった。好天に恵まれて、海中が明るいだけがせめてもの慰めだ。
 網が海面から垂らされた部分についてだけは、直線、あるいは曲線に並んだ海面のブイで判断できる。トラップの外側にエントリーした私は、網に沿って潜降した。
 魚が1尾、網目に首をはさんで口をパクパクしている。そこから数メートル離れた網目には、首だけの魚が引っかかっていた。口をあけて辛うじて生きている魚も他の飢えた魚に食われるのは時間の問題だ。網目は細かく、いったん首をつっこんだら2度と抜けない。潜降早々から、こういう無残な光景を見ては、あまり気分の良いものではない。そうした気持を振りはらって前進した。
 砂地の海底に降り立つと、水深はぴったり15メートル、網は苔むしたように変色し、波に揺れながら、海面に向かい無気味に立ちあがっている。
 網が砂底に接するあたりに、大きなカニが1匹動かずにいた。触れると、甲羅がパクッと外れ、思わずギョッとしたが、中身はすでに何ものかに食べられてカラッポだった。定置網というのは、海中生物に対するトラップであり、彼らに餌を与えて生かそうとする水族館ではないことに改めて思い至った。

陽光を浴びて白く光る死んだサメ

 網沿いに回りこんで、トラップのゲートからいよいよ網の中に身体を入れる。アジがぐるぐる遊泳して、時折、太陽に反射して体表がキラキラ光る。遊泳というより、逃げ場を失ってパニックに陥っている様子だ。
 トラップのゲートはわりあい広く、大きな回遊魚でも簡単に入れるようになっている。中に入って移動すると、上方の網に大きな魚が陽光を浴びて白く光っているのが見え、接近するとサメだった。もう死んでいてピクリとも動かなかったが、体長は2メートル前後、背ビレがグンと張り、胸ビレは先端が黒く左右に張りだし、形の整った美しいサメだ。
 網に引っかかったあげく、逃れようと暴れたのであろう、網が体じゅうにからまって、それこそガンジガラメという状態。ネムリブカなどは例外だが、泳ぎながらエラ呼吸が可能になるサメは、網にからまって動けなくなれば、酸欠で死んでしまう。海中で体を休めることができないという宿命を背負っている。眼もたいして良くないから、網を避けられなかったのに違いない。”海のウルフ”も、そうして死んでいる姿は他愛ない。サメは、聴覚、嗅覚、圧波探知機能に卓越しているが、視覚に欠点がある。明暗の識別には、優れた反応をするが、物体の解像力に難点がある。サーフィンボードなどに咬みついたりするのは、そのためだ。
 死んではいても、姿、形の美しさは海中の王者にふさわしい。アングルを変え、距離を変えて、何回かシャッターを切った。

視界から消えた幸地腹さん

 定置網の中に入ったまでは良かったのだが、中のレイアウトは予め私が想像していたものとはだいぶ違う。道順が書かれているわけでもない。この時に至って予備知識を仕入れておかなかった軽率を後悔した。いわば、迷いこんだ魚と同じで、どの方向に進めばよいのか判断できないのだ。
 その時、突然、肩をたたかれた。振り返ると、幸地腹さんがタンクを背負い、ついてこいとのジェスチュアをし、網の迷路の奥へ私を誘う。ウェットスーツを着ず、パンツ1枚の幸地腹さんを後方から追った。脚力の差が2人を離す。網の中で独り迷子になるのは怖いから、私としてはかなり無理をして追随したつもりだった。それでも、50歳の人とはとても思えぬスピードで、どんどん先に進む。幸地腹さんは、私がついててられると信じていたようで、一度も後方の私を振り返らず、とうとう視界から消えた。

四方から網が迫ってくる

 動悸が激しく胸を打ち、疲労が脚を鉛のように重くしている。幸地腹さんには到底追いつけない。網の中に独りとり残された孤独感より、変労感が私を襲っていた。
 海中に浮いて暫く休憩したが、幸地腹さんが戻ってくる気配はない。意を決して、私は網のさらに奥、すなはち幸地腹さんの消えた方向に移動した。
 体長30センチほどの回遊魚が、ものすごい速度で私の脇を通りすぎた。常軌を逸した動きで右往左往する様子は、定置網ならではの光景だ。回遊魚は数匹のカツオだった。
 気付くと、左右から網が迫って次第に狭くなっている。さらに前進すると、海底からも網が斜めにせり上がっている。迷路の最深部に達したらしい。仰ぐと、知らぬ間に、海面にも網が張られ、四方から狭められていた。
 そして、突き当りの一箇所が、人が1人く入れるほどの穴になって、その奥にもうひとつ袋状の網がセットされているようだ。その袋にそが、魚を逃がさないための究極のトラップ、行き止まりではないかと思われた。

川満英世氏の怖い体験

 那覇に拠点をもつダイビングスクール・TⅠKⅠのオーナー、川満英世氏が、以前定置網の怖さについて語っていたことを想い出した。氏の話の内容は次のようなことだ。
 川満氏がまだ海中ハンターだった若い頃、ウミンチュウに頼まれて、定置網の下に潜った時のことだ。依頼された内容は、定置網の下の部分が海底の岩礁にからまっているので、これを外して欲しいというもの。
 氏が、潮流の強い海に潜って、岩にメチャクチャにからまった網を丹念にほぐし、漸く岩礁から網を外したとたん、海中で自由になった網が潮の流れで浮きあがり、氏の背負っているタンク、レギュレーターはもとより、身体までをフワーッと包みこんでしまったという。
 ガンジガラメの状態の中で、氏はひどく狼狽し、パニック寸前だったと、述懐しているが、その時の恐怖は察するにあまりある。単独で潜っていたため、バディーの助けをまつこともできず、いわんや船上にいる依頼主に急を知らせることもできない。
 暫く考えたあげく、膝に装着したナイフを抜いて、からまった網を見える側から慎重に切断し、丹念に切り刻んで、拘束から逃れた。もしナイフを携帯していなかったら、間違いなくてエアー切れで死んでいただろうと、氏は語っている。
 これは沈着でキャリア豊富な川満氏だからできたこと、誰にでもできることではない。よしんばナイフを持っていたにせよ、こういうケースでナイフが必ず命を守ってくれるとも限らない。レギュレーターやタンクは背側にあり、しかも、視界は狭められている。からまった網を切断していくのはいうほど簡単ではなかったはずだ。過ってホースを切ってしまったら、結果はどうなるか自明だろう。

エアーが切れても浮上できない

 「海中では、どんなダイバーも思考力が低下し、危険の察知という点でも、頭悩の回転や反応は鈍くなる。
 川満氏の怖い話を思い出した直後に、自分が実は恐ろしいところにいることに気付いた。それは、海面に張られた網だった。「エアーが切れても浮上できない」という状況下に、今自分がいることに思い至ったのだ。
 ゲージをチェックする。エントリーしてさほどの時間を費していたわけではないのに、エアーの残は思っていたよりも少ない。その事実が私に焦りをもたらした。特に触れないようにとの気遣い、自分の脚力を越えて幸地腹さんに追従したこと、そして、初めての定置網潜水に興奮していたことなどがエアーの消費を促したのであろう。「網の中から早く出なければ」という思いだ。けが私の胸を一杯にし、慌てて自分が来たと思われる方向に反転移動した。帰路が正確に分っていたわけではない。とにかく物の広く張られ、た方向が、帰るべき方向であろうと、単純に考えたのだ。
 焦燥に駆られながら、海中に浮遊するプランクトンや埃で濁っている海水を通し、うっすら見える網の壁の位置を確認しつつ移動を続ける。幸地腹さんはどこにいったのか、この時点になってもその姿は見えない。

「ああ、助かった」の思い

 あとで、冷静になって考えてみれば、万が一、エアーが切れても、海面の網をナイフで切断しさえすれば、海面に顔を出し大気中の空気を吸うことはできる。焦ることはなかったのだ。
 この時の体験を通し、ダイバーたる者は、何が起きても、何が出現しても、常にクールに判断し、対処すべきことを、肝に命じたのである。
 回遊魚が私の周囲を気が狂ったように泳いで、いたが、もはやそんなものを見たり、カメラを」向けたりする余裕はない。カメラを右手に持ち、かえ、ゲージを左手に握りしめて、安全な場所への脱出に懸命だった。
 定置網に潜入することが、こういう結果を招こうとは、潜水直前までは露思わぬことだった。疲労と恐怖との板ばさみの中で移動を継続し、漸く頭上に網のないことを確認した時は「ああ、助かった!」と、心の底から安堵したのである。

いまだに想い出せない定置網の形

 落着きを回復するにつれ、網の中で取り乱した自分が急に恥ずかしく思えた。
 後で確かめたところ、穴の奥はやはり袋になっていて、魚はその中に入ることで最終的に捕えられる。袋の部分は全部で4ヵ所あり、4カ所とも定置網から取り外しできるとのこと。
 幸地腹さんは、その中でひしめく魚たちを私に見せようとの意図で、私の肩をたたいたという。しかし、その意図を知っていたにせよ、器材を引っかけそうな狭い網のトンネルに、自分の身体を入れていく勇気は私にはなかっただろう。
 後日、定置網がどういう形とレイアウトであったのか、自分が迷いこんだ網の中の全貌を図面に描こうとしたのだが、どう考えても、その図面を完成させることはできなかった。
 海中における思考力の低化に原因があるのか、迷路が複雑すぎるのか、今も判然としない。いずれまた、幸地腹さんにお会いした時に、改めて訊いてみたい。

新鮮にして美味なサシミ


 定置網を潜る時の心構えは、事前にレイアウトを知ることである。オリエンテーションを受ける基本と同じだ。基本を怠ったことが、無意味な焦燥を生み、ありもしない恐怖と闘うことになったといってよい。
 潜水前、たかが定置網のレイアウトなぞごくシンプルであろう、と何の根拠もなく独り合点したのが大きな失敗だった。
 浮上後、幸地腹さんは4カ所に設けられた網袋を引きあげ、私に数十尾のカツオとブリを見せた。翌日、奥さんがサシミにつくってくれたが、新鮮で美味だった

“天の川”を潜る

夢は大きく天空を駈ける

 昼間の好天は夜間まで持続され、満天に星を見せてくれた。時間が午後9時を回っている。田舎のことでもあり、あたりはすでに真暗闇。
 大宜味の漁港を出て沖合に出ると、人家の明りが点在している中でひときわ明るく輝いていたのが、ヴィラ・オクマビーチの照明である。夜灯を意図的につけているようで、不夜城の趣だった。
 しかし、夜空の星はその明るさに臆することなく、むしろ対抗するように輝き、天の川には数知れぬ小さな星が、霧のように重なりあって見える。
 「今どこの海が一番潜って見たいですか」よく訊かれる質問である。認く側は、モルディブとかカリブ海、あるいは紅海とかの答えを期待している。
 「天の川か三途の川を潜って見たいですね」私の答えに、相手は唖然とする。
 “三途の川”は、人が死ねば必ず渡らねばならない川だそうだから、その時には、是非スキューバ・タンクをかついでいって潜ってみたい。さしずめ、このシリーズの最終稿は、「三途の川を潜る」というタイトルで、あの世からお届けすることとなろう。こんなことを書きながら、それがあり得ないことではないことに気付いて、実は胸に震えを覚えているのだが。
 しかし、天の川”でのダイビングは、それこそ、スペース・シャトルにタンクを積んで行かないことには実現しそうになく所詮は夢に終りそうだ。

「大自然との調和」を実感

 幸地腹さんの船が、予め選んでおいたポイントまで私を運んでくれた。昼間眺望できた東支那海の島々も漆黒の闇に沈んでいる。
 海の状態は穏やかで、いわゆるベタナギだ。小波が船に当って、チャプン、チャプンと平和な音をたてている。
 夜の海、船上から陸地の人家の灯りや、頭上にまたたく満天の星など眺めて、心を和ませるのも時には悪くない。自分が大自然の中でしっくり調和しているという実感が湧いてくる。周囲を人工的なものばかりに覆われ、都会のビルの中でワサワサ動き回る人たちが可哀相に思われる一瞬である。競争社会の中では「自然との調和」などという悠長な言葉は辞書にないのかも知れない。あるいは、そういう状態を求めることが贅沢であり、許されないことなのか。
 現実には、日常のあれこれに追いたてられているうちに、発想も思考内容も狭隘かつ貧弱になって、当人がそれと気付かぬまま人生の大半を過ごしてしまう。“大自然の創造した動物”人間としては、惨めというしかない。美しい海や、「満天の星と調和して初めて、そういう惨めさに覚醒し、自然の存在と大きさ、力強さを実感として謙虚に受けとめることができる。
 夜の海で、そんなことを考えながら、自分が海にかかわったことに改めて幸せを感じた。

ゴーストタウンさながらの海底

 水中カメラを左手、水中ライトを右手に船べりからストライドし、そのまま潜降する。
 私はすでに、唾液を呑みこむだけで、圧平衡ができ、気圧の変化に対応できるようになっていた。両手はふさがっていても、潜降に差し支えはない。昼間の太陽に温められて、夜の海水はぬるま湯のようだ。
 ゆっくり落ちながら、海底にライトを向けると、水深4メートルの台地状の岩礁から切れてむように深くなって、下は砂地のようだった。
 岩壁を側面に見ながら、中性浮力をとって移動すると、壁にはくぼみ状の穴があちこちに大きくあいている。ひとつひとつライトを向け、丹念に調べる。幸地腹さんが選んでくれたポイントだからと、穴ぐらにイセエビを期待した。が、イセエビどころかウニすら見当たらず、ゴースト・タウンを見る思いである。

幸地腹さんの心遣いに感謝

 ライトを下に向けると、灰色の砂地がぼんや、り、視界の悪い海中に照らし出された。さらにライトを沖合の深みに向けてみる。ライトの照射は、ぶつかるところもなく、暗黒の深みに消えていく。
 私は衝動的にフィンを蹴った。背筋に寒気が走り、岩棚まで逃げるように這い登って、気持を落ち着かせる。
 深呼吸するうち、中性浮力を確保した時にBCに入れた空気が、プラス浮力を助長したのか、知らぬ間に海面に浮き上っていた。暗い海面で幸地腹さんの船を探すと、まだエントリーした時のポイントから動かず、船上には幸地腹さんが見える。
 夜間の流し潜水は、この時私にとって初体験である。幸地腹さんの船は、レギュレーターに装着したケミカルライトと水中ライトの光を頼りに、私を追いかける手筈だった。しかも、船はエンジンをかけずに、手漕ぎを約束してくれた。意図して浮上する時、あるいは意図せざる浮上時、いずれのケースにも私の身体をスクリューで引っかけないようにとの幸地腹さんの配慮である。
 この時以前にも、以後にも、幸地腹さんが示してくれた思いやりに比肩できるダイビングをさせてもらったことはない。手漕ぎでダイバーを追いかけるのは重労働である。そんな面倒なことは、どんなダイブ・ショップだってやるわけはないし、また、ボートが大きければ、手漕ぎは不可能でもある。
 「とにかく、私は自分の親父に見守られながら、ダイビングをしているような気持だった。

夥しいウニの群

 再潜降しながら、ライトの照らす浅い海底を見ると、台地状の岩の上には、ウニが「天の川の星」のようにばらまかれている。天の川での潜水の夢を、こんな醜悪な代替で経験することになろうとは、皮肉なことだった。
 ナガウニとかタワシウニ、あるいはムラサキウニの類が、びっしり浅い海底一面に這い出して、“トゲだらけのカーペット”といった印象である。この種のウニは、日本近海どの海にも見られる。ごくありふれた、しかも食用にもならない役立たずだ。ウニは夜行性だから、海底の表面に穴から出てくるのは習性として当然なのだが、これほど夥しい数のウニを一度に見たのは、後にも先にもこの時だけである。
 まことにおぞましい光景というしかない。トゲはガンガゼ(ウニの一種)ほど長くはないが強く丈夫で、ダイバーのウェットスーツなど楽に突き通してしまう。
 水中カメラとライトで、私の両手はふさがっていたし、浅い海中で中性浮力をとるのは難しく、トゲだらけのカーペットの上には身体を置くてともできない。
 ところが、このおぞましい海にも、生の営みはあった。結果的に、70分を越えて潜水した理由は、ひとえに、生物のタイムリーな出現だ。
 青ブダイの体に少し強く触れすぎて、びっくりさせてしまい、穴の奥にブルンと逃げこんだ時の感触は、今も私の手に残っている。特大のホラ貝に宿を借りたヤドカリも、その種類としては最大のサイズだったと思われるし、ウニだらけの海底を這い回る軟体動物のマダコが、よく怪我もせずに動けることに感心したものだ。
 出会った生物を列挙すると、マダコ2匹、青ブダイ5尾、ハリセンボン1尾、大ヤドカリ2匹、パイプウニ無数といったところだ。
 ウニだらけという状況は、移動に移動を重ねても、果てしなく連続していた。畳半畳に30~40個体のウニがひしめく海底はすさまじいもので、「一体彼らはどんな役を担って生きていているのか」と、その生存そのものに疑問を感じたほどだ。

稀有の体験

この海は、20年前まではサンゴが至るところに咲き乱れ、ほとんど波打際に近いところまで、ビッシリ花園が形成されていたそうである。それが今では、ウニだらけの岩礁、トゲだらけのカーペットというわけだから、昔を知る幸地腹さんが溜息まじりに嘆くのも当然だった。幸地腹さんの語る「かつてはサンゴが花畑のように」という景観は到底想像できるものではない。
 しかし、ウニが目立ちすぎるという状況は、逆説的にいえば、他の海と差別化されることになる。状況が極端であったことが、私にとって忘れ難い潜水になったと思われる。この時の夜間潜水は、稀有の体験といってよいだろう。

頭上を走る

グラスボートの恐怖

群泳するフエフキダイ

 どこの海とはいえない。怖い体験として記憶に鮮明なダイビングがある。
 カメラを携えて熱帯魚を追い回したあげく、さほどの収穫もないままに、ボートの下まで戻った時だ。その日同行していた保君が、私に接近してくるや「珍しい魚がいますよ」とのジェスチュアを示し先にたった。
 突然大型の魚が群れをなして、前進する方向を横切った。フエフキダイの群れだ。口先を中や歪めた特徴のある形と、灰褐色を帯びた体型から、それと知れた。
 大きなものは50センチに近く、30尾ほどのエフキダイの群泳は見応えがする。カメラマンにとっては、こたえられないシーン、アプローチしては逃げられというパターンを繰り返すうち、案内にたった保君の姿が見えなくなっていた。後刻聞いたところ、彼は私にフエフキダイを見せようとしたのではなかったそうだ。後をついてくるものとばかり思って、目的地に達し振り返ると私がいなかったと嘆じた。

頭上にエンジン音

 フエフキダイを捉えようと、必死になってあれこれ撮影方法を変えて工夫している時、頭上の海面を轟音とともにボートが通過した。その音で我にかえり、ゲージをチェックすると、そろそろ自分のボートに帰った方が無難との指示。「水中を岩につかまりながら少し動くと再びゴーッという唸るようなエンジン音が走り過ぎた。
 ところで、海中という特殊な世界では、ダイバーは音を捉えにくい。そこで、海中は「沈黙の世界」などと誤って伝えられる。実際には、音に満ち満ちた世界なのだ。音が早く伝わること、反射し易いこと、気泡音が耳の傍にあることなので、特に初心の頃は、耳が音を捉えにくい。海中の音が聞けるようになれば、ダイバーとしてはランクが高いといわれるくらいだ。しかし、それでも海面を走るボートのエンジン音だけはどんなビギナーでも聞きわけることができる。音がそれだけ強く激しいということだ。
 ボートの通過音の頻度が次第に激しくなって、頭上を往ったり、戻ったりし始めた。ボートはパワーの強いスクリューを装備しているらしく、すさまじいエンジン音をたてて走り回る。急に気になって、その場を離れようとしたが、ダイビング・ボートの位置をはっきり把握していなかったから、無闇に動いてしまうこともできず、私は困り果てた。

頭上を執拗に旋回

 カメラを携えて潜水するようになって以来、私はコンパスによるナビゲーションも景観を記憶するナチュラルナビゲーションも一切やらない。被写体を追いかけ、方向を気にせずに動いてしまう。海中では、視界が狭められている関係で、方向の見定めは、潜水中最も神経を使う点である。ダイバーは、そのことに拘束されているといってもよい。
 一定のエアー残までは、動きたいように動き、それから浮上してボートの位置を確認、再潜降して帰還するというやり方に徹していたから、この時のボートの執拗な頭上旋回には、ほとほと参った。船はグラスボートである。
 ダイビング・ボート、あるいはダイビング・フラッグの近くに接近してはならないという、船を運転する者としての基本的な知識を、当地の人は持っていないのであろうか。
 エアーの量にリミットのあるタンクに依存しているダイバーの頭上を、執拗に走り回るのは、殺人行為に近い。エアーがなくなれば、ダイバーは浮上する以外に手段がない。といって、ボートが走り回る海面には、怖くてとても浮上できるものではない。

エアーの残量は減る一方

 海面を走るボートを見上げると、グラスの上に幾つかの人の影がある。はじめ、グラスボートは、私というダイバーの潜水姿をお客に見せようとしているのかと思った。しかし、それだったら走り回る必要はない。私の潜水行動が、グラスボートを操る船頭の感情を心ならずも害したのかも知れない。明らかに、意図的に私の頭上を旋回していた。
 一方、エアーの残量は時間の経過とともに減ってくる。通常いったん浮上して、帰還すべきボートの位置を確かめる時の、私が目安としているエアーの残量を越えてきた。「暫くすれば、ボートも私の頭上から離れるだろう」と、当初はたかをくくっていたのだが、頭上旋回は一向に終らない。
 しつこさに腹もたったが、「このままエアーがなくなったら」と考えたとたん憤りは焦りに変わった。とにかく、移動することを決意した。私のいた場所が、あるいはグラスボートが通常お客に見せる海底なのかも知れないと思ったからだ。それにしては、あまりに汚い海底ではあったが。

おそるおそる浮上

 どこにダイビングボートがあるのか分らぬまま、私はとにかく10メートルほど移動した。しかし、グラスボートはそれでもしつこく、私を追ってくる。残圧計と睨めっこしながら、考えこんでしまった。
 次に私の採った行動は、グラスボートに向って手を振ってみることだった。手を振ることが、グラスボートを去らせることになると思ったわけではない。とにかく、何かやらねばならないと考えただけのことだ。ところが、頭上旋回が止み、エンジン音が徐々に遠ざかっていく。
 どうやら、グラスボートの操船者が、執拗に頭上旋回した意図は、彼らのテリトリーから私を去らせることだったのではなかろうか。
 私は、文字通りおそるおそる浮上をスタートした。ボートが戻ってこないという保証はない。BCにはエアーを入れず、その上ポケットには石まで入れてマイナス浮力を高め、エンジン音がすれば即座に潜降できるような態勢をとった。
 海面に浮いて眺めると、6メートルほど離れたところに、グラスボートが停止して何事もなかったように乗客に海底を見せていた。意図して私を追ったことを、この時確信した。
 それにしても、轟々とエンジン音を響かせて、しつこく追われたのは、不愉快極まりない経験だった。 スクリューはミキサーも同然

 私の知人が、宮古島で漁師の船をチャーターし、シュノーケル潜水を楽しんでいた時、別の漁師が寄ってきて、お尻をスクリューで削られるという事故にあった。素潜りだから、海中で息ごらえの限度がくれば浮上するしかなく、頭だったらどうなっていたか。
 東京湾の浦賀水道で、やはりスキンダイビングをしていた若者が、伊豆大島をめざし35ノット(約60キロ)の高速で走っていたクルーザーのスクリューに巻きこまれた時は、悲惨いうより無残を極めた。
 普通のダイビングボートのスピードは遅くて15ノット、早くて25ノット程度であり、船を追いかけるのが仕事という海上保安庁の巡視船の最大速力でも30ノットである。事故を起したクルーザーはダブルスクリューを搭載して、海面を飛ぶように走るほどの、すさまじいパワーをもっている。
 若者の身体は、大型のミキサーにかけられたも同然、一瞬のうちにこま切れになり、クルーザーの周辺は血の海である。大島へのクルージングに、この時4艘が参加していたので、それぞれのクルーザーから数人が海に飛びこんで、散らばった肉片を集めにかかったが、細かすぎて手に負えない。嫌がる漁師に金をやって、漁網を借り、何とかある程度の肉片を回収した。
 この若者はダイビング用フラッグも浮かべず、しかも船の交通量の多い浦賀水道で素潜りとは、あまりに非常識ではあったがスクリューの怖さを伝えてあまりある事故である。
 この時のクルージングに参加していた4艘のクルーザーのうちの1艘の所有者が、私の知己である。ちなみに、その人のクルーザーの最大速力は、何と40ノット(約70キロ)である。
 この時の体験は、不愉快ではあったが、ナビ、ゲーションの大切さを思い知らされた。以後、海底の景観をよく観ること、移動する方向をできるだけ一方方向にすることで、このような災難にあわないよう注意している。